STORY
Serene Time
鎌倉、長谷へと小さな旅をした。
夏目漱石の名作『こころ』には、すでに明治時代から長谷近辺の由比ガ浜が、夏の避暑地として驚くほど都会的な賑わいを見せていたこと、海に並ぶ小屋や界隈に点在した瀟洒な別邸などの様子が生き生きと描かれている。そんな往年の姿を想像しながら、今の暮らしを眺めてみるのも楽しいだろう。
長谷への旅は朝が良い。由比ガ浜から望む日の出と、長谷寺の庭に響く朝の鐘を旅の目当てに、まだ明けやらぬうちに鎌倉に向かった。『長谷駅』から駅前通りを南へ降りると、美麗な弧を描く由比ガ浜に突き当たる。そこには漁師小屋が古くから並んでいる一角がある。早朝に訪れると海から上がった漁師さんから新鮮な魚介を買うこともできるそうだ。きっと昔からそうであったように。
赤く染まる海と空。静かで美しい朝焼けを背景に、波間に遊ぶサーファーたちの影は、平日の早朝でも百を越える。坂ノ下の通りを行くのはウエットスーツを来た少年たち、ロングボードを抱えた初老の御仁、犬を散歩させる寛いだ服装の老若男女。
この日、日の出は6時過ぎ。7時ごろまでぼんやり海を眺め、散歩をし、ふうっと深呼吸。遠くに向かう潮騒のリズムに、自分の呼吸を合わせる。たったそれだけのことなのに、心は軽やかに解放される。都心からたった一時間。鎌倉の山を越えると途端に空気が変わる。普段だったら意識せずに過ぎ去るほどの一瞬が、特別なときを刻み始める。長谷駅を出た江ノ電がゆっくりと、通り過ぎていった。
早朝の浜辺を堪能したあとは、まだ静かな駅前商店街を長谷観音へと向かう。
門前の松と大提灯が朝日に照らされる頃、慣れた旅人か、それとも近くに住む人か、開門を待つ人々が次第に集まって来た。背後の山では鶯がのどかに歌っている。門の内側では、職員たちが丁寧に境内を掃除し、枯山水や香炉の灰を整え、来山者を迎える準備を整えている。ゴーン、と朝8時を知らせる長谷寺の鐘。古から変わらず時を告げて来たその音色は、やさしく街を目覚めさせるように響きわたる。
「朝の鐘は皆様のお幸せや、ご先祖様のご供養と共に朝8時に合わせて5つ、ついております」と長谷寺の僧侶、武藤慶雲さん。今の8時は昔で言う「朝五ツ」だ。30秒ごとにゆっくりと、祈りを込めて突いていく鐘。5つの鐘を聴きながら、街では新しい一日を迎える支度が整っていく。そんな「ときの音」が生活にあるというのはなんと潤いがあることだろう。
春の日差しに綻ぶ梅や桜を愛でながら、時を味わい、耳を澄ませる。鐘の音が静まる頃に門が開き、花に彩られた庭はにわかに活気付いていった。寺社仏閣の多い鎌倉の中でも人気の高いこの古刹の魅力は、なんといってもその庭園だ。観音山の斜面に沿って広がる境内の手入れの行き届いた庭は、四季を通じて花が咲く「花浄土」とも呼ばれている。それぞれの樹木には木片の名札が下がり、さながら日本庭園様式の植物園のようで、外国からの友人と訪れるのも楽しいだろう。
庭を抜け、広い境内から海の眺望を楽しんで本堂へ。そこには長谷詣の最大の目的とも言える巨大な観音像。日本でこのサイズの木造観音立像を見ることはなかなかない。全長9.1m、オリエンタルな微笑みで見下ろすこのご本尊「十一面観世音菩薩像」は、1300年前、721年大和の国(現在の奈良県)で2体が作られ一体が海に流されこの地に流れ着いたと伝わっている。観音さまの足元で行われる毎朝の法要は朝の鐘の後に行われるが、それを目当てに早朝から長谷に参じた人も多いようだ。
山の斜面の「眺望散策路」からの鎌倉の景色はまた格別。眼下には住宅をかすめるようにして走る江ノ電、逗子まで見渡せる相模湾の光景など、鎌倉を箱庭のように一望できる。この散策路は紫陽花の一大景勝地でもあり、季節には40種類2500株が咲き競う。
景色に負けず劣らず見とれてしまうのが散策路の入り口にある「経蔵」だ。ここには、チベット仏教のマニ車のように回す「回転式書架」があり、中には一切経の『大蔵経』が納められているという。多くの経典と写経が壁一面にうず高く積まれたこのお堂は美しく、そこに立つだけで清々しい心地がする。長谷寺での朝は、植物と山に癒され、活力の蘇るひとときだ。
長谷寺を後にして、駅前通りの「鎌倉彫 白日堂」へお邪魔した。鎌倉の景観重要建築に列せられるという品格漂う店構えに興味を惹かれ、窓から中を覗き、引き戸を開けて中に入ると、ふと、どこかで知っているような懐かしい空気が流れてきた。漆の香りのせいだろうか。
静かな店内のガラス棚には、名工の作品や室町時代に遡る歴史ある逸品も並んでいる。悠久の時を重ねたものたちが、このしっとりとした空気を作り出しているのかもしれない。中でも「屈輪文(ぐりもん)」と呼ばれる独特の輪模様の(彫木朱漆の)大香合は、室町時代に遡る、禅寺と関わりの深い鎌倉彫の原点とも呼ばれるもの。職人たちがまず模刻して修行するのもこの形という。強い生命力を感じさせるその文様は、現代のさまざまなアイテムにも受け継がれている
昔はどの家にもあったような懐かしいお盆やお椀。いまの生活にも馴染む華やかな牡丹モチーフ、装飾を省いたミニマルなもの、無垢の木肌の見えるもの、手頃なサイズの可愛いアクセサリーなどなど、自分好みの形を探すのは楽しいひとときだ。店主の伊志良 逸子さんに彫りの工程を見せて頂きながらお話を伺うと、一つ一つの品が持つ深い時の流れに思い至った。
「今ここにあるものは全部桂ですが、(材料は)真ん中の芯をよけて正目にとりますので、大きなお盆などは、大木からでないと取れないんです。そういう木がもう北海道でもなかなか取れなくなってきたそうです」と伊志良さん。一本の木が十分に育つまでの何十年という時間。少しずつ掘り進め、生漆、黒漆、弁柄漆の朱塗りと何日もかけて塗り重ねる、完成までの長い時間。しかし、一つの作品に流れる時間は、人の生きる時間を悠々と超えていくだろう。出来上がったものは軽く丈夫で、何代も受け継ぐことが可能なのだから。
「漆の美しさを皆さんに実感して頂きたいですね。自分自身でも、なんて綺麗なんだろうと感激します。飾っていただいても、その日の1日の光の動きによってすごく見え方が違ってくるんです。そういうところを感じていただきたいんですね」。重ねられた時間に触れ、時を超える感覚を味わう。木霊を感じるような漆芸の世界。もしや懐かしさの正体は、長い時間を超えた木の気配だったのだろうか。
長谷の街は、一歩入ると昔ながらの路地が続いている。生垣、竹垣、板垣、石壁、各種の塀に挟まれた細い道。古都の区画が残っていて、その隙間を縫うように江ノ電が通り抜ける。ところどころで線路と住宅の敷地が混然となったりしているのに驚かされる。そんな路地を気の向くままに進めば、突然カフェや雑貨店が現れるのも面白い。そんなふうに長谷駅界隈を歩き回る人ならば誰もが気になるに違いない店が『café Luonto(カフェ ルオント)』だ。駅裏の川沿いの小径、不思議な形の松の向こうに、シンプルな真っ白い木造の建物が現れる。江ノ電の線路沿いにひっそりと佇み、燦燦と陽が当たるこの店には、なんとものんびりと穏やかな空気が漂っている。
2016年にオープンしたこのカフェは、同名の翻訳会社「ルオント」を経営する渡辺圭二さんが、“荒んでいた”という2階建ての古民家をほぼ丸ごと改装して作った店だ。全面開口の窓に風や光を取り入れ、テラスを作り、一筋向こうにある海を感じられるような、山と川と江ノ電と、鎌倉が五感いっぱいに感じられるような空間になった。店内の壁には地元アーティストたちの作品や原稿が飾られている。あちこちに描かれた可愛いイラストは、長谷の路地に店を構える鎌倉発のファッションブランド「キーノート」のデザイナーによるものだ。
丁寧にハンドドリップで淹れられた珈琲を飲みながら、陽だまりの中でゆるゆるとした気分に浸っていると、江ノ電が通り過ぎていく。長谷駅がすぐそこにあるので、平均時速22kmの江ノ電は更にスローダウン、まるで「お話の一区切りですよ」とでもいうかのように、思い出したような間隔で線路を鳴らす。長谷駅は江ノ電でも数少ない単線が行き違う駅。上りと下りがほぼ同時にくるので線路の音の間隔は約12分。他の江ノ電の駅より間隔が長いのだ。「本当にのどかですよね。ここの風景見ているだけでゆったりするし、江ノ電自体がいいBGMになっている」と渡辺さん。
長谷寺の鐘、江ノ電の線路の響き、その「ときのあいだ」に流れるのは心地よく温かな時間だ。その心地良さは、彼らの食に対する姿勢からも感じられる。コーヒーも紅茶もケーキも染み込むような美味しさ。パティシエ担当の石垣桃子さんは「子供にも安心して食べさせられる、日常の飾らないお菓子を作っています」という。米粉を使ったケーキなどグルテンフリーや、ヴィーガン対応のメニューもあるし、素材は無農薬の野菜や国産小麦、単に有機農法ではなく、土作りからこだわる自然農法の食材を全国から取り寄せている。小規模な店でこれを続けるのは簡単なことではないはずだが、オーナーの渡辺さんやスタッフのこだわりによって実現させたその優しい味は、若い男女や近隣の子供連れ、年配の方まで幅広い層に支持されている。
「ルオント」はフィンランドの言葉で「自然」や「自然の恵み」を意味する。渡辺さん自身釣りを愛し自然への思いが強くこの名称にした。「自分が毎日通いたいカフェを探しているうちに、自分がオーナーになってしまいました」。
お気に入りのカフェを見つけてのんびりと過ごした後は、長谷の街での買い物を夕方まで時間たっぷり楽しもう。見逃せないのは鎌倉の暮らしに根付く評判の老舗たちだ。例えば『石渡源三郎商店』。長谷駅前の雰囲気を牽引し、温故知新の心を感じる老舗の乾物屋だ。明治元年の創業以来、国産にこだわって地元湘南の名産ひじき・天然わかめや、全国から厳選した豆など実にさまざまな乾物を扱っている。店先に並んだ色とりどりの豆類は圧巻。丹波の大納言小豆も、群馬の紫花豆も、くり豆のような市場にほとんど出回らない希少品種も、丁寧に選り分けられ、昔ながらの美しいディスプレイで並ぶ。
「健康にみなさん気を遣われてね、手作り味噌を作る方が多くなってきていますから、今は大豆がよく売れますね」と店主の石渡源三郎さん。
天然の、自然のままの素材を大事にすること、発酵を活かすこと、日本人がたどり着いた食の知恵はまだまだ奥が深い。見たこともない豆や乾物を、どのように食すのか。この店では下ごしらえからレシピまでその活かし方も紹介している。そのやりとりは近隣の人にとっては夕飯前の憩いのひととき、生活のアクセントにもなっている様子。夕方の店先は一層賑やかだ。
裏から奥さんが丹波大豆や緑豆と米麹で作った石渡家の味噌を出してくれた。一年前に仕込んだ味噌を味見させて頂くと、生き生きと爽やかな香りがした。この日は自宅用にと、希少性が話題のくり豆やポリフェノール豊富な小粒の黒豆を買って帰ったが、それぞれに詳しい調理法が書かれた紙と共に、石渡さんの“手前味噌”のレシピが添えられていた。以前から気になっていた味噌作り。自分も来年は挑戦しよう、と思わせてくれる。
伝統と新進の螺旋を登り、生き続ける老舗。連綿と受け継がれてきた本物にこだわり、現代的なセンスで伝統を更新し続ける店。そんな老舗たちが今も愛され、街の一角を担っているのも古都鎌倉の重要な一面だろう。
「私がおじいさんから引き続いて65年、細々とですけどもこういう商売を続けてね。お客さんに我々の持っている知識をお伝えして、日本の素材の良いものを説明していかないとね」と源三郎さん。次代を担う息子の石渡昌宏さんにもその心はしっかりと継承されている。「商品の知識とお客様とのコミュニケーション。それは父からよく教わったと思います。こういった小さな商売ですので、しっかりしたものを、きちんとお客様に伝えるのが重要だと思っております」。残すべき価値が長谷・鎌倉には息づいている。
普段の生活を離れ丸一日長谷・鎌倉で味わった、幾つもの特別な時間。そこに共通するのは「ひととき」の長さだった。
長谷の時間を思うとき、お寺で聞いた古の時の刻み方のことをたびたび思い出す。調べてみれば、昔の時間軸では「ひととき」は今の2時間くらいを指していたという。「瞬間」や「わずかな時間」のことは「一刻」と言い、「ひととき」の4分の一、今の30分くらいを示していた。果たして現代の私たちの考える「ひととき」とは、いったい何分くらいのことを示しているだろうか?
長谷の街で、長い「ひととき」に身を委ねれば、それに比例するように充足感が深まっていく。初めてきたのに懐かしく、きっと訪れるたびに好きになる。丁寧で濃密で、何でもないようでいて幸福で。近頃はそんな暮らし方が注目されているけれど、ここではずっと昔から、そうした時間が流れていたのだ。